HSPという気質は、脳の処理の深さの違いによるもの
「HSP」とは「Highly Sensitive Person」の略で、高度な感覚処理感受性(あるいは、カール・ユングの造語で言えば生得的感受性)を持つ人のこと。
要は、「“感受性がつよい”という気質をもつ人」のことを、HSPと呼ぶことにした、と。
なので、病名とか症状名とかではないんですよ。
発達障害なんかとも、異なります。
(特徴に似ている部分があったりはするんですけどね)
ただ「HSP」という気質・性質をもっているだけ、のことなんです。
(ちなみに、「気質」という言い方をよくしますね。)
では、「HSP」と「そうでない人たち(非HSP)」では、気質がどう違うのでしょう??
HSPと非HSPでは、刺激に対する脳の反応や処理の深さが異なる
HSPという気質は、脳の反応の違いによるもの、です。
HSPとそうでない人たち(非HSP)では、
刺激に対する脳の反応や処理の深さが異なるんですよ。
HSPは刺激を深ーく処理するんです。
・・・ということは、、、、
努力でどうこうできるものではないんですよねぇ。。。;
HSPは感覚データを通常よりはるかに深く、かつ徹底的に処理しているが、
それは神経システムにおける生物学的な差異によるものだという。引用:Wikipedia ハイリー・センシティブ・パーソンより
上記の引用のとおり、
『HSPは感覚データを通常よりはるかに深く、かつ徹底的に処理』しています。
・・・ということは、
「もう刺激にいちいち反応しないぞっ!」とか
「気にしぃなところを直したい」などと思ったところで
それらは努力などで変えていけるものではなくて、
もう「そういう性質だとあきらめるほかない」ということ。
だって、脳の反応によるものなのだから。
努力でカバーできる範囲外なんですよ^^;
努力などで変えていけるものではないので、そういう気質だと「いい意味であきらめ」て、受け入れていこう
「変えられない」とか、
「あきらめるほかない」なーんて書いちゃうと
すごくガッカリしちゃうかもなんですけど、
(ガッカりしましたか?もしそうなら、ごめんなさい;)
これはもうほんとうに
「いい意味でのあきらめ」
と捉えていただきたいんですよ!
だって、もうそれについては不毛な努力はしなくっていいんですよ。
その努力、今後は違う方向に使っていったほうが絶対にいいです!
「HSPという気質を受け入れる」とは?
HSPは、本来とても努力家です。
そして、とても勉強家でもあります^^
なので、
努力し甲斐のある方向に努力をしていくほうが、
絶対にいいですよ!
そのほうが結果にもつながりやすいですしね^^
(結果が出るとうれしいし♡)
まずは、長年重ねてきた私の不毛な努力のお話を^^;
ちょこっと、私のことを書かせてくださいね。
『長年重ねてきた私の不毛な努力のお話』です^^;
私もずーっと
繊細というか気にしぃなところを気にしてまして^^;
人にどう思われるかが気になって
思い切ったことが出来なかったり
新しいチャレンジを渋っていたり、
はたまた
他の人はうまくいっているように見えて
ところが自分はさっぱりだから勝手に一人で焦っちゃったり、、、
だから、現実には何にも動いていなくって;
心や頭の中でだけ
目いっぱい悶々としていて
でも、実際には何にも出来てないやんかーーー
まったく自分自身は変われていないやんかーーー
とジタバタしまくっていました;
で、このとき、
「本当にまったく変われていない」わけではなかったんですよね。
以前と比べて少しは変われて
少しは生きやすくなったりしているはずなのに、
まるで「0か100か」みたいな捉え方を自分自身がしちゃって
「まったく変われていない」って自分を断定しちゃっていて;
そして、
「自分ではない違う誰か」になろうとしていて
必死に努力をしていたんだなぁ~って思います。今となっては。
だって、
「繊細で傷つきやすい自分から変わりたい」
「人の反応を気にしちゃう自分、ではなくなりたい」
そう思って努力をするって、
それはもう、目指しているのは「自分ではない違う誰か」だもんね。
それに、そんな努力をがんばったところで、
脳の反応や処理の深さによるものだったのなら、
これはもう、、、無理ゲーだったんだもんね;
だから、
「あぁ、、、長いこと無理なことにチャレンジし続けてたんだなぁ。。。」
そう思えて、ふっと楽になったんですよ。
ま、アホらしくなったともいえるかもだけど^^;
それでようやく
繊細でめんどくせー自分ありきで
がんばっていこうと思えるようになりました。
というか、そう思うしかないよなー、って感じかな^^
なのでやっぱり「いい意味でのあきらめ」^^
「HSPを受け入れる」「いい意味であきらめる」とは、「HSPの特徴ありきで生きていく」ということ
・・・とはいっても
「努力で変えられるものではない」とか
「あきらめるほかない」とかって聞いちゃうと
あんまり希望がない感じがしちゃいます?
HSPって分かったら、
「もう努力したところでしょうがないよなぁ」
「努力したって意味ないよなぁ」
ってそんな感じがしちゃいますか?
えっと、そうではなくって
それありきで生きていく、っていうこと。
HSPの特徴ありきで生きていくのです。
それ(HSPの特徴ね)が今後出てきたとしても
(今後もきっと出てくるはずやのよー。ザンネンながら;)
「やーん、また出てきたー、イヤやわぁ~」ではなく
「おぅ、久しぶり」とか
「HSP、健在やなぁ~w」とか
「HSP、発動中!」とか
そんな風に気軽に受け止められるようになれたら、、、
どうですか?
ちょっと楽そうじゃない?
私たちが目指すのはそこかなぁ、って思います^^
たとえるなら、、、
顎の外れやすい人がいたとして。
これまでは出来るだけ顎が外れないように
大きな口を開けないように気をつけていたり、
それこそビッグマックではなく普通のハンバーガを食べるようにしていたり、
・・・と、顎が外れないための努力をするのではなく。
顎が外れたときに
「あー、また外れたわ」
と、そのことを軽ーく受け止められて、
ささっと外れた顎を自分で直せたら、、、
「私、顎が外れやすいのよー」っていう
一つの特徴なだけになると思いません?
毎回歯医者さんとかに行かないと直せないのだったら、
大変だけども。
自分で直すことができたら、
すぐに解決して
サッと日常生活に戻れますよね。
ま、適当に書いた例なので、
実際には
「すごく痛い」とか
「そのことで他のことにも何か支障が出る」とかもあるかもしれないので、
本当にそういう方がいたらゴメンなさい;
(そして、なぜにこんな例え、、、^^;)
なんしか、言いたいのは
「それありきな自分」ともうあきらめて認めてしまうことと、
「それが出たときに対処できる自分になる」ということ。
これが出来さえすれば、
HSPって結構、、、悪くないことない?です?
だって、
刺激に反応しやすいというのは
変化に気づきやすいということでもあるので、
あながち悪いことばかりではないんですよね。
特に人間関係においてなんか。
空気が読めて
気が利いて
聞き上手で
感受性もつよく
人の気持ちに共感することもできて
・・・って、すごく仲良くなりたい人なんですけど!
ま、刺激に反応しやすいゆえに
人間関係においてストレスを感じることも確かに多いけれども、
ざっと挙げただけでもこんなにいいところがあるのでね。
結局は、
何をどう捉えるか、ですよね^^
捉え方を変えていくことで
「HSPに生まれてこれてよかった!」
そう思えるような人生にしていきましょう♡(していけるよ!)